<2023年12月31日>令和5年を振り返って~後半

今年後半の災害としては、8月にハワイ州マウイ島での火災がありました。また2月のトルコ南部地震以降、地中海付近での地震が相次ぎ、9月8日深夜モロッコでの地震M6.8、アフガニスタン西部へラート州ではM6.3の地震が発生しております。国内では、10月9日に発生した鳥島周辺での津波、地震が小さいにもかかわらず、注意報レベルの津波が広範囲で観測されました。そして、12月3日にフィリピン・ミンダナオ島沖地震M7.7による津波注意報が発表され、地震付近で観測された津波より日本側での観測の方が大きい場合がありました。地震・津波の波源域からの直接波に加えて、回り込み陸棚を伝播して遅れてくる間接波が合体したものと考えております。
今年で100年を迎えた関東大震災について、番組では3回にわたり話題提供を致しました。どのような地震および複合災害だったのか?当時の津波の状況についても解説、約100万人が各地に広域避難したこと、また、国外からの支援、特にアメリカの第30代大統領クーリッジ・ジュニア氏による対日支援についても紹介しました。今年は、海外出張も増えました。7月には、IUGG国際会議(国際測地学・地球物理学連合)、4年に一度の大規模な国際会議で4000名以上の参加がありました。その後ポーランドに移動し、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を訪問させて頂きました。1979年、第1・第2強制収容所の遺構は第二次世界大戦における悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべきものとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。
今年7月の市政施行134周年記念式典において、特別市政功労者として表彰を頂きました。「災害研究の第一線で活動を続けられ、東日本大震災からの復興と安全なまちづくりに貢献されるとともに、災害科学国際研究所の知見と教訓の継承や国内外への発信に尽力され、仙台市の発展に寄与された」と評価いただきました。大変に名誉ある受賞でした。

<2023年12月24日>令和5年を振り返って~前半

今年は、過去に発生した地震・津波の節目の年でした。関東大震災100年、昭和三陸地震津波90年、日本海中部地震・津波から40年、北海道南西沖地震津波から30年でした。当時の犠牲者を偲び、経験と教訓を伝承していく活動が各地で行われました。個人的には、日本海中部地震・津波40年が印象深く、被災地視察、特別フォーラム参加、NHK特番への登壇などを行いました。
また、今年最大の災害は、2月6日に発生したトルコ・シリア地震でした。M7.8の直下地震であり、トルコだけでも5万人以上が死亡し、5万6千棟以上の建物が倒壊するなど甚大な被害が生じ、今後の復旧・復興が課題となっています。4月には、トルコの関係大学や行政機関を訪問、被災地への視察を行い、トルコ南東部地震研究・支援に対する今後の連携・協力構築、学術調査のための情報収集と予備調査を実施してきました。その後、J-Rapidによるアーカイブ構築支援の共同プロジェクトが始まりました。
3月には、仙台防災未来フォーラムと第3回WBF世界BOSAIフォーラムが開催されました。民間セクターおよび若年層などにも積極的に参画いただき、防災の具体的な解決策を話し合いました。3月6日には、復興庁推進委員会委員長を拝命し、現場視察などを通じで現状を理解し、課題解決や支援のための活動を行っております。その中、復興庁推進委員会メンバーにリレー式で登場するラジオ番組「TOHOKU FUTURE TALK」を制作、放送中です。また、仙台市がVR(ヴァーチャルリアリティ)による体験型の学習「せんだい災害VR」を導入、好評のようです。

<2023年12月17日>高知県の香南市および中土佐町を訪問

11月に南海トラフ地震の津波警戒地域である高知県を視察し、津波対策や防災教育、防災啓発の現状に理解を深め、東日本大震災の知見と教訓を生かす方策を関係者と話し合いました。宮城教育大学・東北大の武田真一先生以下、スタッフ3名で現場に行きました。高知新聞報道部災害担当記者である八田大輔さんの全面企画協力をいただきました。
香南市は、空港の東部隣接自治体であり、高知県内で最も多い23基の津波避難タワーを計画されています。本年度、最後の2基を建設中で、完成すると、高知県の津波避難タワー計画126基が100%完成になります。海沿いの平野にタワーが並んでおり、避難訓練や防災関係の視察に加えて、地域の活動に利用されています。
続いて、中土佐町を訪問しました。高知市の西にある、漫画「土佐の一本釣り」のモデルになった町です。小さな漁村で、海に面したわずかな平地に住宅が集まっています。現在、避難路やタワーの整備を進めており、盛んな議論の末に役場庁舎を高台に移転しました。津波浸水想定区域に位置していた役場庁舎、消防庁舎に加え、旗艦保育所である久礼保育所の高台移転事業に着手したこの事業は、町の一般会計当初予算に匹敵する総工費70億円にのぼる大事業となりました2021年 1月に無事全ての移転を完了しています。新庁舎落成式典で、中土佐町は、防災・産業・観光 が連携した取り組みを行っていく「防災テーマパーク宣言」をしました。これは、防災というのはヤラサレ感ではなく、 日ごろの生活の中で、楽しく自然と防災に親しんでもらうことを目標としています。
https://www.n-bouka.or.jp/local/pdf/2022_06_32.pdf

<2023年12月10日>1946年昭和南海地震について

前回の昭和東南海地震および津波に続いて、昭和南海地震および津波の話題です。この地震は、1946年12月21日午前4時19分に発生。震源は和歌山県南方沖で、マグニチュードM8、1443人が死亡・行方不明になりました。終戦後間もない時期の自然災害であり、東南海地震から、わずか2年後に発生したものであります。震源域は昭和東南海地震の西側に位置し、いわゆる、南海トラフでの連動型地震になります。1940年代半ばの日本では、このほかにも1943年(昭和18年)の鳥取地震、1945年(昭和20年)の三河地震といった、死者1,000人以上を出している大きな地震が相次いでおり、これらの地震は太平洋戦争終戦前後における「4大地震」とされます。
昭和東南海地震の発生を受けて、当時、地震学者の今村明恒は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道にまたがって発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していましたが、当時これに耳を傾ける者はいなかったそうです。
高知県内では、高知市などで死者・行方不明者679人、負傷者1836人、家屋4846戸が全壊・流失しました。 また、地盤沈下による浸水被害を受けた高知市では年が明けても水が一向に引かなかったため、高知市東部では交通機関として船が用いられる日々が続いたということです。発生から80年近くが経過する中、当時の経験や教訓を語り継いで行く活動が行われています。
https://www.bosai.yomiuri.co.jp/feature/5435

<2023年12月3日>1944年昭和東南海地震・津波について

本日は、79年前の地震と津波について紹介したいと思います。当時は、太平洋戦争の最中であり、しかも西日本を中心に地震活動が活発でありました。1944年12月東南海地震、1945年1月三河地震、1946年12 月南海地震、そして1948年6月福井地震が発生し、いずれも1,000人規模の犠牲者を出す大地震でありました。この中でも、南海トラフで発生した1944年東南海地震と1946年南海地震は海溝型の巨大地震で、この間には、直下地震も発生しており、内陸の活断層が活発化する中で、連続して発生したことになります。しかも、戦時中から戦後にかけての社会的混乱期に生じましたので、そこでの被害実態が詳細に報告されておらず、復旧も大変困難であったとされています。
1944年(昭和19年)12月7日13時35分、地震の規模はM7.9の東南海地震が発生しました。被害が大きかったのは、南海トラフの東側を中心に、静岡、愛知、三重、和歌山の各県で、住家の全壊1万7,599 戸、津波による流失3,129戸、死者・行方不明者は1,183人を数えました。地震による直接の被害が目立ったのは静岡・愛知の両県で、静岡では、地盤の軟弱な浜名湖の周辺や、菊川や太田川の流域で多くの家屋が倒壊しました。愛知では、とくに伊勢湾の北部、名古屋市から半田市にかけての港湾地帯に立地 していた軍需工場が倒壊して多くの死者がでました。中でも悲惨だったのは、戦時中の勤労動員によって軍需工場で働かされていた中学生が、多数死傷したことです。工場の下敷きになって死亡した人は、中学生も含めて約160人といわれています。また、東南海地震は、海溝型の巨大地震でしたから、当然大津波が発生しました。津波による被害が大きかったのは、紀伊半島の南東海岸、熊野灘に面した沿岸部でした。 津波の波高は、三重県、和歌山県沿岸で特に高く、波高は新鹿で6-8m、賀田で7.1m、錦で6m、勝浦で4-5mに達しました。
https://www.n-bouka.or.jp/local/pdf/2022_12_34.pdf

<2023年11月26日>学び舎ゆめの森

https://manabiya-yumenomori.ed.jp
福島県大熊町に開校した「学び舎ゆめの森」について紹介したいと思います。大熊町は、2011年3月の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故により、全町避難となりましたが、2019年5月には役場機能が戻り、現在も復興拠点を中心に着実にまちづくりが進められています。その中で、認定こども園(預かり保育)・義務教育学校・学童保育が一体となった教育施設「学び舎ゆめの森」が4月に開校、 8月に素晴らしい建物が完成しています。
「温故創新」~誇りを持って、自分の未来を切り拓く~という教育方針のもと、これからの未来を生きる子どもたちには、見たこと・感じたことを先取りして形にできるデザイン力を育み、自分だけのゆめのはなを育ててもらいたいというのがコンセプトです。建物の中心には、吹抜けの大きな開放的な図書ひろばがあり、学習室、サイエンスラボ、創作工房、体育館(アリーナ)、音楽室、家庭科室、ランチルームを放射状に配置しながら曖昧に繋いでいくことで、子どもたちの活動が混じり合う多様な学びの場が広がっています。
子どもたちを中心に、地域の方たちにも開かれた町の交流拠点として、0歳から15歳まで一人一人の成長を一貫して見守る教育の実現に向け、さらには、0歳から100歳までの学び舎となることを目指されています。

<2023年11月19日>宮城県の第五次地震被害想定調査

https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bousai/ks-gozihigai-top.html
宮城県では、地形情報や地質情報などの地盤条件、ならびに人口、建物の種別やライフラインなどの社会条件をもとに、想定地震に対する地震動や津波を予測し、その結果から人的被害、建物被害及び経済被害などを算出しています。この結果は、震災対策などの基礎資料となるもので、今回、第五次地震被害想定調査を検討しています。
防災会議の下部組織として、学識経験者及びライフライン等関係機関の職員で構成する「地震対策等専門部会」を設置し、その専門部会の中で調査方法・評価などに関して専門的事項の指導・助言を受けながら進めていますが、昨年12月に、第五次地震被害想定調査中間報告書を報告、今年8月に最終報告を専門部会で議論し、了承され、現在、県の防災会議などで審議されています。
中間報告書は、概要版と本編で構成されており、宮城県での防災対策、国の動き、減災推計結果等の観点から、今後の防災対策の方向性を検討、最優先で軽減すべき死者数をベースに検討しますが、防災対策においては負傷者・ライフラインなどその他の被害への対応や、予防(事前)対策のみならず、発災後の応急対策、復旧・復興対策も重要であります。国においても、日本海溝・千島海溝沿いで想定される最大クラス(M9クラス)の津波をもたらす地震を対象とした「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進基本計画」を令和4年度に変更しており、このなかで、最大クラスの津波をもたらす地震に対して想定される死者数を、今後10年間で概ね8割減少させることを目標としています。今回検討する減災目標のうち、津波被害に関する目標はこの推進基本計画を参考に検討することになりました。

<2023年11月12日>鳥島周辺での津波について

10月9日早朝に、揺れがほとんどないにもかかわらず、津波が発生し、広範囲で注意報が発表されました。観測点が少ないこともあり、気象庁は、鳥島近海で起きた地震の詳細を十分に把握できない中で、リアルタイムで観測された潮位が変化した地域に津波注意報を出しました。海外の観測機関からはM5前後の地震が報告されています。一般的には、M5では通常、津波は発生しないと考えられていますので、海底で何らかの変動があったと推定されますが、地滑りの可能性は低く、火山活動の影響ではないかと考えています。鳥島近海では地震が多発しており、今後もこうした現象は起こりうると思います。
https://www.sankei.com/article/20231009-7VTEH6UPPBINFJGQSG3USYKRZE/
今回観測された津波の周期(数分から10分程度)では、通常は減衰するはずが、広範囲に及んでいました。高知県南国市は、昨年1月、南太平洋・トンガ沖の海底火山の噴火で日本沿岸に津波の警報・注意報が出た経験を踏まえて、海岸などに避難指示を出しています。海にいたサーファーには防災無線や拡声器で避難するよう何度も呼びかけていました。しかし、対応は地域によってまちまちだったようです。
揺れを感じなくても、津波が発生することもあります。情報入手に努め、海からは直ちに離れるよう意識してほしいものです。

<2023年11月5日>津波防災の日、世界津波の日

東日本大震災を教訓に津波対策を総合的に推進するため、平成23 年6月に「津波対策の推進に関する法律」が制定され、あわせて、11月5日が「津波防災の日」と定められました。さらに、平成27年12月の国連総会において「世界津波の日」として制定されました。11月5日やその前後に、津波防災の意識の向上と適切な避難行動の定着を目的に、「津波防災の日」スペシャルイベントを開催するとともに、全国の地方公共団体と連携した地震・津波防災訓練を実施します。今年も本日13時~、オンラインで開催されます。申し込みは、11月4日(土)で締め切られていますが、後日、視聴することが可能です。
今年は、関東大震災からちょうど100年の節目の年となります。関東大震災は大火災による被害が大きかった一方で、津波による被害もありました。今回の「津波防災の日」スペシャルイベントでは、「関東大震災から100年、これまでの災害経験を踏まえた津波への備え」をテーマとして、私の基調講演及びパネルディスカッションを実施します。関東大震災をはじめ、東日本大震災などの被災経験から学び、先進的な津波防災対策を実施している事例等に触れながら、今後の津波防災対策の在り方について考えていきたいと思います。ぜひ、ご視聴ください。
https://www.bousai.go.jp/jishin/tsunami/tsunamibousai/pdf/r5_01.pdf

<2023年10月29日>防災アートについて

国内で自然災害など多くの災害が発生し、それに対する取組が行われている中、防災・減災に資する新しい取組として関心が高まっている「防災アート」についてご紹介します。
1つは、石巻市雄勝町での巨大な防潮堤に壁画作品を展示する野外美術館「海岸線の美術館」です。(一般社団法人SEAWALL CLUが、2022年11月26日に開館)。大震災後に整備された防潮堤については、今後の防災・減災の面で不可欠であるものの、景観や環境の面で異論があります。この中、雄勝町では、高さ最大10m、全長約3.5kmの巨大な防潮堤に壁画を描いていくアートプロジェクトが始まりました。人の暮らしを津波から守る壁でありながら、同時に美しい海の景色を遮る壁にもなっている灰色の防潮堤ですが、これに絵を描くことで、海沿いに新しい風景を生みだし、海と人を、過去と未来をつなぐ場所に変えていくことを目指しています。
https://kaigansennobijutsukan.com
もう1つは、今年10月に初めて開催された「南陽アーティストフェスティバル」の中で、防災アートについてのトークセッションが開催されたのです。企画は、南陽市と株式会社四季南陽(代表取締役:奥山清行)及び、株式会社KEN OKUYAMA DESIGNになります。招待講演として、ロンドンミュージアムのキュレーター、メリエール・ジャーター氏が1666年のロンドン大火をテーマに、そして私が、関東大震災や東日本大震災などを事例に、災害科学とアートさらにはデザインとの融合の可能性について紹介、そのあとのトークセッションでは、日本の工業デザイナー奥山清⾏氏も加わって、「防災アート」の⽬線で復興や防災についての考えを意⾒交換、未来に向けた社会や都市づくりなどについて語り合いました。また、最終日には、ストリートアートで大活躍しているThe London Policeのライブアートのパフォーマンスも行われました。

<2023年10月22日>中越地震から19年~新幹線の脱線

2004年(平成16年)10月23日17時56分、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13キロの直下型の地震になります。新潟県北魚沼郡川口町(現・長岡市)の直下を震源として発生した逆断層型の内陸地殻内地震で、震源直上の川口町では最大震度7を観測しました。余震活動も活発で、本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測しました。その後も余震が続き、11月30日までの間に計825回の有感地震を観測しています。
鉄道への影響もありました。上越新幹線「とき325号」が脱線したほか、線路や橋脚が破壊され、トンネルの路盤が盛り上がるなどの被害が発生しました。国内の新幹線の営業運転中の脱線事故は開業以来初めてでした。幸い、1人のけが人も出ませんでした。その後、新幹線には、逸脱防止ガイド(車輪の外側に)が開発され整備されています。
しかし、2022年3月16日、東北地方で震度6強を観測した地震で、東北新幹線が大きな影響を受けました。 車両が大きくレールからはずれ、安全な走行の要ともいえるレールが大きく変形しました。東北新幹線にも、逸脱防止ガイドが、すべての車輪の横に取り付けられていましたが、強い左右の横揺れによって車輪が浮き上がり脱線したとみられると報告されています。今後、横揺れを和らげるための「ダンパー」と呼ばれる装置を新たに導入するなど、対策が検討されています。

<2023年10月15日>中東工科大学との国際連携プロジェクト

科学技術振興機構(JST)は、J-RAPID緊急研究共同・調査事業において、2023年テュルキエ南東部地震(トルコ地震)に関する10件のプロジェクトを発表しました。 災害科学国際研究所からは、今村と中東工科大学(METU)のアフメット・ヤルシナー教授を代表とする「2023年カフラマンマラシュ地震関連デジタルアーカイブの作成支援と活用」プロジェクトと防災教育に関する2件のプロジェクトが採択されました。 アーカイブプロジェクトには、アナワット・サッパシ准教授と柴山明寛准教授も所属、東京大学の渡邊英徳教授、防災科学技術研究所の伊勢正主任専門研究員、遊佐曉研究員が参加されています。今後、データ情報の共有、プラットフォーム作成、分析・解析、利活用を検討いたします。
9月20日と21日にトゥルキエの中東工科大学を訪問、20日、ヤルシナー教授と今村は30年以上にわたる津波と災害軽減に関する協力について招待講演を行い、21日には、土木工学部海岸海洋工学分野でアーカイブ関係の第1回の会議と防災教育関係の打ち合わせ、さらに国際協力機構(JICA)トルコ事務所で会議が開催されました。そこでは、災害データの収集、データアーカイブに関する検討事項についても情報と意見交換が行われました。 今後は、データ共有、リスク評価に加えて防災教育などの他のプロジェクトへの貢献も検討していきたいと思います。
ヤルシナー教授とは1987年に初めてお会いしました。松前財団から招待を受けて東北大に半年間滞在していただき、津波工学・海岸工学の分野での協力が始まりました。津波数値解析マニュアルの改訂も一緒に行いました。それ以降、地中海での津波リスク解析、津波堆積物調査、サントリーニ火山性津波の再現計算、また、2004年インド洋大津波、2011年東日本大震災、そして今年のトルコ南東部地震などで協働調査や解析を行ってきました。ヤルシナー教授は、多くのご功績により2019年に濱口梧陵国際賞を受賞されています。

<2023年10月8日>国立科学博物館での関東大震災100年企画展

東京都上野にある国立科学博物館では、関東大震災とその復興について、この100年間での地震防災研究、現在の災害対策やその課題についての特別展示が開催されています。関東大震災100年企画展「震災からの歩み~未来へつなげる科学技術~」と題した、人と自然、科学技術の関係や、過去から学び未来へ継承していくことがテーマの展覧会です。11月26日まで開催されています。主に、以下の3つのテーマ展示になります。
第1章 1923年 関東地震とその被害~関東大震災~
第2章 関東大震災からの復興~災害に強いまちづくり~
第3章 100年間の地震・防災研究~災害に負けない国へ~
特に、東大の渡邊教授らのグループは、当時の被害を伝える様々なコンテンツを大型ディスプレイシステムに投影し、よりリアリティーを感じてもらいながら、災害の様子や当時の様相などを紹介しています。科学技術で当時の写真をカラー化、AI技術と人の手によって、当時の写真を彩色しました。モノクロ写真だとどこか他人事だった100年前の出来事が、カラー化によって我が事として感じられることと思います。国立科学博物館が収蔵する震災当時の写真10点のカラー化前とカラー化後の写真が展示されています。
https://www.kahaku.go.jp/event/2023/09earthquake/

<2023年10月1日>モロッコ地震

今年は、トルコをはじめ、中東地域での災害が続いています。北アフリカのモロッコで、先月9月8日深夜(日本時間9日朝)にマグニチュード6.8の強い地震がありました。震源は西部の中心都市であるマラケシュの南西約71キロにあるアトラス山脈の山中であると推定されました。マラケシュが激しく揺れたほか、約350キロ離れた首都ラバトや、カサブランカ、アガディルなどでも揺れが感じられました。世界遺産に登録されている旧市街ではモスクの塔が崩れたということです。モロッコでこれほどの激しい地震が最後に起きたのは、100年以上前になります。
今回の地震により3,000人以上が死亡、数千人が負傷したことが報告されています。また、数百の村が被害を受けているとされていますが、都市部から離れた被災地へのアクセスは難航しており、中にはバイクやロバでしかアクセスできない村もあるということで、被災地へのアクセスの課題は人道支援の大きな壁となっています。加えて、被災地をさらに脅かす懸念として浮かび上がってきているのが今後の大雨の影響です。 地盤が弱く崩れた場所もありますので、降雨によるさらなる土石流などの発生が心配です。
当時、モロッコ中部に滞在していた金沢大学の井出明教授(観光学)が共同通信のオンライン取材に応じられていました。地震発生直後の様子について「住民や観光客が慌てて避難し、崩れ落ちた建物の外壁の陰でぼうぜんとしていた」。ホテルのオーナーらが客室のドアをたたき「避難しよう」と切迫した様子で呼びかけ、ホテルの外へ一緒に避難したそうです。「日本人にとって大きい揺れとは思わなかったが、宿のオーナーらに避難しろと言われ、着のみ着のまま外に出た」。しかし、避難したものの「(現地語の)フランス語やアラビア語を話せない観光客は情報をもらえず『どうなるのか』と不安そうだった」と語っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/795924e04b974f1b22d188fe4ff8e31bb7ffd7c5

<2023年9月24日>防災とピクトグラム、そのメリットとデメリット

ピクトグラムは、伝えたい情報を視覚化してデザインしてあり、国籍や言語が異なっても情報が伝わりますので、防災に関しても、このピクトグラムの活用は大変重要です。ピクトグラムを使ったコミュニケーショのメリットとデメリットについて紹介します。
https://www.risktaisaku.com/articles/-/23729
メリットは、事前の学習や特別な知識がなくても理解できることです。文字を使わず、見て直感的に情報を伝えられる視覚記号(サイン)なので、目の見えづらくなった高齢者や漢字が苦手な子ども、外国人、一部の障害者など文字の読めない人にも情報を伝えられます。また、人は無意識のうちに色から大きな影響を受けているため、色の役割も大切です。 非常口のピクトグラムは、緑色に白色の2色、消火器は赤色に白色の2色のように、緑は安全、赤は危険・緊急などの指示内容が一目で認識できるようになっています。多様な色覚を持つ人々の安全標識に対する認識性を向上させるため、JIS Z 9103(図記号-安全色及び安全標識-安全色の色度座標の範囲及び測定方法)があります。
https://www.meti.go.jp/press/2018/04/20180420006/20180420006.html
一方、デメリットは、イメージでしか意思疎通が図れないことです。非常口やトイレなど大まかな場所を伝えるには適していますが、注意喚起などの情報、危険が及ぶものは、その対応や対策について、文字や音声・言語などで欠点を補う必要があります。そのための補足する情報として、「多言語表記」があります。複数の言語が並存し表記されていることです。多言語の表記方法については、全国的に統一されていることが望ましいため、観光庁の「観光立国実現に向けた多言語対応の改善・強化のためのガイドライン」で定められています。

<2023年9月17日>ハワイ州マウイ島での火災について

発生から1ヶ月半が経ちました。ハワイ・マウイ島の山火事は、8月8日から発生した大規模な山火事で、ラハイナを中心に、100名以上が死亡し、身元確認が困難なために1300人以上が行方不明となっています。また、2,200棟以上の建物(86%が住宅)が損壊、ハワイも含めてアメリカで起きた山火事としては、過去100年で最悪の被害になりました
8月初旬、ハワイ諸島では多数の小規模な山火事が発生していました。特に、マウイ島では島の東西で複数の山火事が発生し、消防が対応に苦慮していたということです。この時期、ハワイ島では高気圧が停滞していたため晴天が続き、異常乾燥や干ばつ状態でした。さらに、ハリケーンがカテゴリー4の強さで来襲していたのです。8月7日午前0時ホノルルにある国立気象局事務所は、8月9日の朝まで全島の風下に警報を発令し、「非常に乾燥した燃料と強い突風のような東風と低湿度が組み合わさると、火曜日の夜まで重大な火災気象状況が発生することになる」と警告していました。また、ラハイナなどでの火災の原因に、損傷した電力インフラから発生した火花が火元となったことが挙げられており、アメリカメディアは、強風にも関わらず、電力会社が送電を止めなかったことが火災の原因ではないかと指摘しています。一方で、警報についても問題が指摘されています。ハワイ州が州全域で運用する警報システムでは、津波やその他の自然災害の発生を住民に知らせるために約400基のサイレンが設置されていますが、マウイ島での山火事発生の際、サイレンは作動していませんでした。
SNSでは、「政府が意図的に放火した」などのフェイク情報が拡散し、同州のグリーン知事は「インフルエンサーとして振るまう人間を信じるな」と激怒しています。
https://mainichi.jp/articles/20230820/k00/00m/030/181000c

<2023年9月10日>関東大震災③ 国外からの支援と国内での人口動態

国外からの支援
関東大震災の被害の状況は国内外に即座に報告され、多くの国々から日本政府に対する救援や義捐金、医療物資の提供の申し出が相次ぎました。中でも突出していたのがアメリカの迅速かつ大規模な支援でした(日本から無線を使ってアメリカに情報が伝達され、無線電信による非常時の情報伝達の有効性が日本で初めて確認されました)。震災発生を知った9月1日の夜、アメリカの第30代クーリッジ大統領は、ただちに対日支援を決断し、大統領令を発しました。フィリッピン・マニラや清国に寄港中のアジア艦隊に救援物資を満載し、日本(横浜)への急行を命じたのです。当時、日本ではまだ対策本部すらできていませんでした。さらに、大統領自らがラジオを通じて「困難に直面している日本を助けよう」と全米に義捐金募集を呼びかけたのです。即時に約800万ドルを集め日本へ送るなど、支援国の中で最大規模の支援となりました。これは、今から100年前にアメリカが行った究極の「トモダチ作戦」でした(レポート/山村武彦「100年前のトモダチ作戦」)
9月3日、ジェノバにおいて第4回国際連盟総会が開催されていました。総会では大震災に同情する決議や、各国が帝国図書館に書籍寄贈を行うための決議が行われ、日本は各国代表から個人的に集められた救援金の提供も受けました。義捐金の多くはアメリカ、イギリス、中華民国からで、インド、オーストリア、カナダ、ドイツ、フランス、ベルギー、ペルー、メキシコなどからも救援物資や義捐金が送られたのです。世界中の個人や企業、都市・機関・国から提供された援助は、10月の時点の内容や経緯が『我震災に対する諸外国の同情及救援の記録』としてまとめられた。
国内での人口動態
大震災で多くの人が家を失い、約100万人が全国各地に疎開しました。震災をきっかけに東京府多摩地域・埼玉県南部・千葉県西部・神奈川県東部が急速に都市化し、首都圏が形成されていくようになりました。その一方で、大阪市は東京・横浜からの移住者も加わって人口が急増し、一時的に大阪市が東京市を抜き国内でもっとも人口の多い市となりました。名古屋市・京都市・神戸市も関東からの移住者によって人口が一時的に急増、この状況は1932年(昭和7年)に東京市が近隣町村を大規模編入するまで続きました。

<2023年9月3日>関東大震災② 津波も発生

関東大震災は南関東を中心に発生した広域な複合災害で、津波も発生しました。静岡県熱海市 12m伊東で9m。千葉県相浜(現在の館山市) 9.3m。洲崎 8m、神奈川県三浦 6mで、津波によるも死者300人にも及びました。この津波は、あまり知られていませんが、死者は1993年の北海道南西沖地震を上回るものでした。震源が相模湾にあったために、早いところでは地震後5分程度で津波が襲来しており、相模湾や伊豆半島東岸で大きな被害を出していたのです。建物の倒壊と火災による被害が甚大で、津波と地震動の被害を分離することが困難なため、津波に関する報告は断片的で全体像が明確になっていませんでした。以下、いくつか事例を報告いたします。
小田原市根府(ねぶ)川地区の海岸部では、本震から5分後に高さ5-6mの津波が押し寄せ、海からの津波と白糸川からの山津波によって挟み撃ちになって命を落としたのです。そのような中で、伊豆半島の宇佐美や下田では1703年の元禄地震や1854年の安政東海地震の津波による災害経験が生かされ、家屋の流失は多数に及びましたが、地震直後の適切な避難行動によって人的被害は最小限に食い止められたと言われています。しかしながら、伊東市で116名、熱海で100名もの死者・行方不明者がでています。私は、2005年頃から、伊東市史編纂(災害編)作成のために、何回か現場調査をさせて頂きました。伊東市川奈にある海蔵寺の石段には、関東大震災に加えて、元禄地震による津波痕跡などが残されています。また、1971年に行われた関東大震災の体験者からの聞き取り調査の記録や、災直後の子供たちの作文集などの資料が比較的良く残っています。

<2023年8月27日>関東大震災① どのような被害だったのか?

1923年(大正12年)9月1日11時58分に発生した関東大地震によって南関東および隣接地に大きな被害をもたらしました。地震は相模トラフのプレート境界に沿って発生したと考えられており、相模トラフ巨大地震とも言われます。死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害となりました。震源域は相模湾を中心に広がり、神奈川県から千葉県南部を中心に震度7や6強の地域が広がっていましたが、被害の多くは東京の下町を中心に発生した大火災によるものでした。火災による死者は約9万2000人、住宅が全潰したことによる死者約1万1000人、津波による死者2~300人、土砂災害による死者7~800人でした。
神奈川県での揺れが強かったことは、横浜市と東京市の住家全潰棟数を比較してもわかります。当時の横浜市は人口約42万人で東京市の約220万人に比べ1/5の規模の都市でしたが、横浜市の住家全潰棟数は約1万6000棟と東京市の1万2000棟をはるかに上回り、特にJR関内駅を中心とした埋立地では、全潰率が80%以上に達したところがありました。火災の発生場所も全潰率の高いこの地域に集中していました。なぜ横浜ではなく東京での火災による犠牲者が多かったのでしょうか?名古屋大学の武村雅之教授が以下のように説明されています。「横浜市の中心地でも建物崩壊や火災が生じていましたが、横浜公園に避難し、火災に巻き込まれずに多くの人々の命を救ったところもありました。同じくらいの広さがあった東京本所の陸軍被服廠跡地(現在の両国国技館北隣の東京都慰霊堂敷地)で、火災旋風によって4万人余りもの人々が亡くなったのと対照的です。被服廠跡地は避難民とそれぞれが運び込んだ家財道具ですし詰め状況になっていたのに対して、横浜公園では、周囲で住宅の全潰率や出火点密度が高かったために、皮肉にもほとんどの避難者が着のみ着のままで、家財道具を避難地に運び込む余裕がなかった点が大きく異なっていたようです。避難時の家財道具の運搬は、スムーズな避難行動の妨げとなる他に、延焼火災に燃え草を供給することになるという問題があります。
「1923関東大震災」は以下のURLにあります。
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/pdf/kouhou039_20-21.pdf

<2023年8月20日>アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の視察から得られた知見

今回の視察では、日本人の中谷剛さんからガイドをしていただきました。外国人登録者として唯一の方です。中谷さんと、様々な課題やテーマについても話しを致しました。
〇 ワールドカップ・サッカーでのヨーロッパチームの政治行動について
〇企業の参画(ドイツの電機メーカー「シーメンス」は、なぜ、この施設に協力、生産拠点を置いたのか?)
〇ウクライナ戦争にアウシュビッツの記憶は活かされているのか?欧州連合は、経済だけでなく、「戦争を繰り返さない」という歴史観の共有も目的としていたはず。
〇平和や人権問題などは、防災課題と同様に、「通常であること」がその効果であり、その貢献や取組の重要性が普段に理解いただけない部分がある。しかし、日頃からしっかり知識を得て意識を持ち対応できれば、大きな悲劇を繰り返さないことができる。
現在の社会課題との関連、過去(歴史)・現在・未来を結びつけて、説明や議論をすることが重要であると思いました。

<2023年8月13日>アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館について

第二次世界大戦中にナチスドイツによって引き起こされた大量虐殺という事実を隠すことなく後世に伝えるため、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館は、入場無料で一般に公開されています(ガイド経費などは別)。ユダヤ人600万人超が犠牲となったホロコーストの象徴となった同収容所では1940年6月~45年1月、欧州各地から送られてきたユダヤ人100万人を含む約110万人がナチスによって殺害されました。アウシュビッツ・ビルケナウ博物館は「アウシュビッツ収容所」と「ビルケナウ収容所」という3キロほど離れた2つの収容所から成り立っています。2つの収容所は無料のシャトルバスで結ばれています。往復の移動時間を含めると、見学は4時間ほどかかります。
1979年、第一・第二強制収容所の遺構は第二次世界大戦における悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべきものとして、ユネスコの世界遺産に登録されました。解放から75年の節目を迎えた2019年の訪問者数が過去最高の230万人に達したと明らかにしました。その後、コロナ禍の影響で入場者数は減少しましたが、現在回復に向かっています。アウシュビッツ収容所の体制は、歴史部、教育部、保存・補修部など合計約400名という充実した体制です。今年6月25日に改修工事が終了しております。

<2023年8月6日>IUGG国際会議(国際測地学・地球物理学連合)のご報告

IUGG国際会議は4年に一度開催される、地球物理や測地学など幅広い分野をテーマにした大規模な国際会議で、毎回4000名以上の参加があります。第28回IUGG総会が、7/11~20日、ベルリンで開催され、この中で、7/14日から3日間に渡って、津波セッション(口頭発表とポスター発表)が行われました。
津波は最も壊滅的な被害をもたらす自然災害のひとつであり、過去においても、また今後も世界中の海岸線に甚大な被害をもたらす可能性があります。 2004年のインド洋津波や 2011年東日本大震災での津波など、今世紀の壊滅的な津波現象は、沿岸の人口とインフラに対する災害のリスクが増大していることを示しました。2018年のスラウェシ島とクラカタウ島の津波は、地震以外のメカニズムによって引き起こされる津波も考慮する必要があることを示しました。最近では、2022年にトンガで大規模な火山噴火が発生し、空海結合波が発生し、太平洋周辺の海岸沿いに被害をもたらしました 地球規模の警報によって引き起こされる海面上昇は、津波科学にとっての新たな課題です。このような背景の中でIUGG での津波セッションでは、津波の発生と浸水に関する理論的および数値的研究、予測および警報の開発、過去の出来事の地質学的記録の調査。対応・緩和・回復戦略。歴史的観察を含む観察研究。地震、地滑り、火山噴火によって発生する津波による危険性とリスクの研究成果が報告されました。 私からは、3.11伝承ロードの活動を報告いたしました。

<2023年7月30日>3.11仮設住宅体験館

岩手県陸前高田市の「3.11仮設住宅体験館」で、宿泊・見学体験が始まりました。陸前高田市が、「仮設住宅の様子を全国に伝えたい」と、旧米崎中学校の校庭にあり、当時被災された方が実際に使用していた仮設住宅団地のうち2棟8戸を約7000万円かけて体験施設として整備し、2021年10月下旬に開設しました。この施設では、震災の経験を防災の学びにつなげることを目的に、仮設住宅での生活を想像し、実際に体感していただけます。これにより、防災や仮設住宅の見直しのきっかけになると期待されています。
陸前高田市は岩手県内で被災者が一番多く、発災当時は3,600~4,000戸の建設を想定しましたが、みなし仮設住宅制度や近隣自治体に仮設住宅が建設されたことで、実際には2,148戸の建設となりました。2021年3月に全員が退去するまで、最大で5635人が暮らしていました。
東日本大震災での仮設住宅で生活した方々からヒアリングを行い、部屋を再現しました。生活する上で大変だったこと、暑さ・寒さ、隣の部屋の物音、収納の少なさなどを実感いただけるということです。視察の所要時間は60分前後、宿泊体験はご希望のお部屋に宿泊いただけます。
https://311kasetsu.com

<2023年7月23日>オーストラリア・日本共同シンポジウム「レジリエンスの観点からみた災害とツーリズム」

このシンポジウムは、オーストラリア政府外務貿易省の豪日交流基金による支援を受けて開催されました。共催は、東北大学災害科学国際研究所および東松島市です。6月21日は、東松島市でオーストラリアから来日された学者・ゲストとフィールドワーク、22日には、東北大学災害科学国際研究所にてシンポジウムがハイブリット形式で開催されました。
オーストラリアと日本では、多くの地域社会が自然災害にさらされており、過去に多くの被害が発生しています。同時に、両国では観光産業が急成長しており、観光客やホストコミュニティーの脆弱性を高める可能性があります。そのため、観光地でもしっかりとした防災対応が必要になります。日本では近年、台風や洪水を経験した2019年のラグビーワールドカップと、COVIDの渡航制限期間中の2021年に東京オリンピックという2つのメガイベントが開催されました。一方、オーストラリアでは、オリンピックやコモンウェルスゲームなどのメガイベントの開催が予定されており、このシンポジウムでは、オーストラリアと日本の学者、政府代表、専門家が一堂に会し、観光レジリエンスを強化するための経験共有や意見交換が行われました。特に、観光は水平統合産業であるため、ホテル、レストラン、農業、運輸など、多くのセクターに影響を与えます。日豪両方の視点から、災害のレジリエンス構築、そして観光がコミュニティの持続可能性にどのように役立つかについての議論をし、互いの理解を深めました。
また、シンポジウム開催に先立って、防災まちづくり、世界の持続可能な観光地モデル地区である東松島市にオーストラリアからの学者を含む参加者を招き、学びの場を共有しました。東松島市と災害科学国際研究所が2013年以降、防災に関する連携を締結していることも踏まえ、今後も双方の防災そして観光づくりの発展に尽力したいと思います。

<2023年7月16日>るるぶ特別編集「東日本大震災伝承施設ガイド」の紹介

震災から12年が経過する中で、その記憶と教訓を次の世代へ伝え、今後の防災・減災対策に活かすことがますます重要になっています。震災後、被災地においては、数多くの震災伝承施設が設けられ、それぞれの地域の被害状況や復旧・復興の取組、防災・減災の知識等を発信してきました。こうした被災地の震災伝承施設を紹介し、東日本大震災の教訓から災害への学びと備えを知っていただくため、復興庁が「るるぶ特別編集 東日本大震災伝承施設ガイド」を制作し発行しました。
本ガイドの中では、青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県にある震災伝承施設から、駐車場等があり、館内案内や語り部等のいるものを中心に75施設について豊富な写真や詳しい情報がまとめられています。開所時間など施設の訪問に役立つ情報とともに、展示内容や施設に込められた想い等を紹介しています。さらに、震災を実際に経験された方から当時の状況について話を聞く「語り部プログラム」や、被災地でのフィールドワークを通じて復興の過程を学ぶことができる「学習プログラム」の情報についても盛り込んでいます。是非、本ガイドを活用いただきながら、震災伝承施設を訪れていただき、防災・減災意識を向上させていただきたいと思います。なお、冊子版は、行政機関、教育機関、観光協会等に限った形での配布となっておりますので、電子版(pdf)をご活用下さい。
https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-22/densyo-guide.html

<2023年7月9日>北海道南西沖地震津波から30年

日本海側の広い範囲が津波に襲われ、104人が命を落とした日本海中部地震から5月26日で40年になりました。さらに、この地域ではその10年後の1993年7月12日に北海道南西沖地震が発生しました。震源地は北海道南西部、震源の深さは約34km、規模はマグニチュード7.8と推定されています。各市町村の最大震度は5とされていますがが、被害が最も大きかった奥尻町の震度は、地震計が設置されていないため計測されていません。おそらく、さらに大きな震度だったものと推察します。この北海道南西沖地震による被害は、死者・行方不明者のほか、住宅や事業所等の建築物や道路、港湾、漁港、漁船等、多岐にわたっており、総被害額は約1,323億円に上りました。特に壊滅的な被害を受けた奥尻島南端の青苗地区では、防潮堤を越えた津波により家屋がことごとく流され、その後起きた火災で一面は焼け野原のようになっていました。同島を中心に、死者・行方不明者は230人にのぼりました。ガスボンベから噴き出したガスや、漁船からの流出した油に引火したと考えられます。
発生から3日後に、NHKの取材班とともに、震源に近い北海道の奥尻島に入りました。現場で被害調査を行い、特に青苗地区やその周辺の状況を確認しました。驚いたのは、電柱に昆布などの海藻や草木が引っかかっていたことです。谷を駆け上がった津波は高さ約30メートルに達しました。ここでは、島の斜面が急で波が増幅し、谷状の奥に集まったことなどが影響したと考えられます。
*内閣府災害対応資料 1993年北海道南西沖地震
https://www.bousai.go.jp/kaigirep/houkokusho/hukkousesaku/saigaitaiou/output_html_1/case199301.html

<2023年7月2日>岩手県立大学「防災復興支援センター」設立へ

岩手県滝沢市にある岩手県立大学では、東日本大震災が発生した2011年に「災害復興支援センター」を設置しましたが、震災後も災害が頻発し大きな被害が出ていることから、今年4月に今後の大災害に備える「防災復興支援センター」へと組織を改めました。この支援センターは、地域の防災マップ作製の支援、大災害を乗り越えられる人材育成、さらに、被災地の自治体にアンケートを行い、支援のニーズ調査を進めています。
先日、この「防災復興支援センター」が設立されたことを記念し、防災のあり方について考えるシンポジウムが開かれ、オンラインも含め自治体の関係者らおよそ200人が参加しました。この中で、私は基調講演をさせていただき、近年発生した災害を振り返りながら改めて防災への意識を呼びかけました。東日本大震災後も、2014年の御嶽山の噴火や2018年の西日本豪雨など、自然災害は多様化するとともに激甚化が顕著になってきていることを紹介しました。その一方で、防災への意識は低く具体的な備えが不十分な状態が続いている課題などを述べました。
昨年、東北大学から着任された杉安和也講師が副センター長として活動しており、すでに自治体の避難訓練への県立大学の教員の派遣や、地域ごとの防災課題の聞き取りなどを行ってきた取り組みを展開しています。今後さらに、大学の知見を生かしながら県内の防災につなげていきたいと述べています。特に、震災後の12年で得た教訓も生かして、多様化する災害に備え県全体の防災力が上がる活動をしていきたいと話しています。

<2023年6月25日>気象庁からのさまざまな情報について

1)地震・火山月報(防災編)について
気象庁では、地震防災対策特別措置法の趣旨に沿って、大学や国立研究開発法人防災科学技術研究所等の関係機関から地震観測データの提供を受け、文部科学省と協力してこれを整理し、地震調査研究推進本部地震調査委員会に提供するとともに、気象業務の一環として防災情報として発表しています。例えば、令和5年(2023年)4月に日本国内で震度4以上を観測した地震は2回(3月は4回)、日本及びその周辺で発生したM4.0以上の地震の回数は67回(3月は89回)
2)週間地震概況(全国)
3)南海トラフ周辺の週間地震活動概況
南海トラフでは特別に、震央分布図を提供しています。さらに、深部低周波地震(微動)の活動状況も出されています。フィリピン海プレートと陸のプレートの境界がゆっくりすべっていると推定されるため、深部低周波地震活動はプレート境界の状態変化監視にとって、重要なデータの1つになっています。
4)仙台管区気象台防災情報(地震過去30日間)
宮城県の月間地震概況、地震解説資料があります。東北地方に津波警報・注意報が発表されたとき、東北地方で震度5弱以上を観測したとき、群発地震などの社会的に関心の高い地震が発生したときに、地震解説資料を掲載します。

<2023年6月18日>地震避難訓練「シェイクアウト」について

正式名称はShakeOutで、日本においては和訳して「シェイクアウト」ないしは「シェイクアウト訓練」と表記しています。直訳すると「地震をぶっとばせ」「地震に負けるな」となります。 「効果的な防災訓練と防災啓発提唱会議(略称:Shake Out提唱会議)」が日本での普及母体です。
https://www.shakeout.jp
米国カリフォルニア州で生まれた一斉防災訓練『ShakeOut(シェイクアウト)』です。
仙台市では、数年前から、市民一人ひとりに「地震への備え」を確認していただくため、全市一斉に「仙台市シェイクアウト訓練」を実施しています。訓練当日は、家庭、学校、職場等の各自の場所で約1分間、地震発生時にまずとるべき3つの安全行動『まず低く、頭を守り、動かない』を実践し、併せて、家具等の転倒防止対策の確認、備蓄物資等の確認を行うことを奨励しています。
https://www.sendaibousai.com/training/shakeout.php

<2023年6月11日>岩手・宮城内陸地震から15年

2008年6月14日午前8時43分頃に岩手県内陸南部で発生したマグニチュード7.2 の大地震で、岩手県奥州市と宮城県栗原市で最大震度6強を観測し、被害もこの2市を中心に発生しました。被害の特徴として、同じ規模の地震と比較して建物被害が少なく、一方で斜面崩壊などにより土砂災害が多いことが挙げられます。また、温泉施設への被害など観光関係への被害も大きくなりました。
宮城県栗原市一迫、岩手県奥州市衣川区で、ピンポイントながら岩手県胆沢川の石淵ダムに設置された地震計では震度7相当の揺れを記録したと報道されました。ただし、震度は加速度の最大値から単純に算出することはできないうえ、この観測点は設置環境などに規定がある震度計ではなく「地震計」であるため、震度を判断することはできず、あとで修正されています。荒砥沢ダム上流の崩落は大変な規模でありました。ここでの最大落差は148mになり、この崩落地の中で、土砂が水平距離で300m以上も移動した箇所も確認されました。崩落により荒砥沢ダムには局所的な波動(津波)が発生しましたが、幸い被害は出ませんでした。崩落土砂の量がダム貯水容量の1割程度だったことや、梅雨入りを前に貯水量を下げていたこともあって、津波がダムの堤体を越えることはなかったのです。もし水位上昇が大きい場合には、イタリアで発生したバイオントダムでの被害のように、下流側で被害を生じた可能性がありました。
15年の節目にあわせて、先日、荒砥沢崩落地を空の上から見学するヘリコプターの遊覧飛行が行われました。これは「東北エアシステム」が企画したもので、関係者も含め16人が2便に分かれて搭乗し、田植えシーズンで水が張られた田園風景を眺めながら、約25分間、山肌がむき出しになった地滑り跡などを見て回ったそうです。

<2023年6月4日>映画『すずめの戸締まり』について

『すずめの戸締まり』は、2022年11月11日から劇場公開された日本のアニメーション映画です。すでにご覧になった方も多いと思います。『君の名は。』の世界的ヒット以来、国内外で高く評価されている新海誠監督が、美しい色彩と音楽で描きだす少女の冒険物語になります。 観客動員数1,000万人、興行収入140億円を突破し、国内のみならず世界が注目する話題作です。日本各地の廃墟に点在する災いの出口である“扉"を閉じていく少女の解放と成長を描くロードムービーです。平穏に暮らしていた少女がある青年との出会いがきっかけで災いを呼び込む扉の存在を知り、戸締まりの旅に出ることになります。この少女の出身と故郷は岩手県宮古市赤前地区で、4歳の時に東日本大震災を経験し、母親を失ってしまいます。過去と現在と未来をつなぐ、“戸締まり"の物語――。
映画に関連して、「日本の戸締まりプロジェクト」も立ち上がりました。数々の困難が立ちはだかる現代の日本、そんな日本を明るくしたいと47都道府県それぞれの地元企業が支援した活動です。
https://suzume-tojimari-movie.jp/nihon.html
また、この映画では、気仙沼の道の駅「大谷海岸」も登場しており、5月28日には、気仙沼市民会館で特別上映会が開催され、深海監督の舞台挨拶も行われたというとこです。

<2023年5月28日>日本海中部地震・津波について

1983年(昭和58年)5月26日11時59分、男鹿半島沖から津軽海峡の西側にかけての広い範囲を震源域として、マグニチュード(M)7.7の大地震が発生しました。この地震により、秋田県と青森県で震度5を観測したほか、北海道から中国地方にかけての広い範囲で有感となりました。今年でちょうど40年が経過します。
地震発生から8分後の12時07分には青森県の深浦で、12時08分には秋田県の男鹿で津波の第1波を観測しました。津波は北海道から九州にかけての日本海沿岸を中心に観測され、津波の高さは、気象庁の現地調査で、青森県から男鹿半島にかけて5~6m、北海道奥尻島では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐では2~3mに達しました。最大は震源に近い秋田県八竜町(現在の三種町)で6.6mでした。また、東北大学工学部の調査では、秋田県峰浜村(現在の八峰町)で14mに達したことが報告されています。この地震・津波により、全国で104人の方が亡くなり、このうち100人が津波によるもので、港湾工事の作業員などが41人、釣人18人、遠足中の小学生13人が含まれております。このほか、負傷者324人、建物の全壊・流出1,584棟、半壊3,515棟、船舶被害2,598隻など甚大な被害となりました。
当時、家庭用ビデオカメラの普及が進んでいたこともあり、津波の姿が写真(静止画)だけでなく動画として、各地で記録されました。NHK特集「目撃された大津波~日本海中部地震の記録~」も放送されました。この津波の記録を通して、自然の猛威にふれることができます。

<2023年5月21日>チリ地震津波

内閣府の災害教訓の継承に関する専門調査会報告書「1960チリ地震津波」
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1960_chile_jishintsunami/index.html
昭和35年5月24日早朝に来襲したチリ津波は、北海道から沖縄までの太平洋沿岸各地に被害を与えました。遠地で発生した津波ですので揺れを体感する地震がなく、気象庁の対応も遅れ、完全な不意打ちになりました。南米プレートの下にナスカプレートが沈み込むチリ海溝で、Mw=9.5の観測史上最大の地震が発生、津波は15時間後にハワイ、23時間後に日本に到達しました。南米沖で発生した遠地津波は、1586年以降19例もあったのですが、当時その認識が不足し、しかも各国で監視・観測された情報を共有するシステムがありませんでした。震源から1万7千キロ離れた日本でも多くの被害を出しました。北海道・青森・岩手・宮城・三重だけでも358億円の被害となり、当時一般会計総額1兆6千億円、国土保全費520億円の頃でした。これは前年の伊勢湾台風(被害額1,365億円)に引き続く大災害でありました。そのために、沿岸での災害防災対策の必要性が認識され、国会でも議論され、津波対策事業に関する特別措置法が6月17日衆議院可決し、20日参議院可決となりました。
近地津波に比べて周期が長く、東北・沖縄地方で4m以上の場所が生じた原因として、太平洋伝播途中での屈折による集中とされています。第二の特徴として、長い湾が周期の長いチリ津波と共鳴し、湾奥ほど津波が高くなった事があげられます。共鳴しない湾でも、津波による速く複雑な流れが生じ、養殖水産業に影響したようです。

<2023年5月14日>イスタンブール工科大学のファーティ・スッチュ准教授の紹介

イスタンブール工科大学地震工学部のファーティ・スッチュ准教授をご紹介したいと思います。イリディズ工科大学で学士号、イスタンブール工科大学で修士号、その後、東北大学で博士号を取得し、東京工業大学で特任教授を務められた方です。専門は構造力学や鉄筋コンクリート(RC)造の耐震設計などで、2月6日(現地時間)にトルコ南東部で発生したマグニチュード7.8の巨大地震について、現地の専門家として、被害状況を分析し多くの情報を発信されています。
スッチュ先生と、イスタンブールで面談させていただきました。その話しの中で、トルコの免震建物は100~110棟と比較的少ないものの、そのうち病院が50棟、空港など重要施設で整備され、免震装置の75%は病院建物で使われているということです。実は、2012年にトルコの厚生大臣が石巻赤十字病院を視察した際、免震装置を導入していたことで本部機能を果たしたことを知り、トルコ国内の基幹病院での免震装置導入を即決。ガゼータ(法律)を即座に決定し、2012年以降、100床以上の病院は免震装置を導入することが義務化されました。トルコでは、大規模な病院は最大で2800床もの病床があり、1000床超の病院もざらで、都市圏にはこの規模の病院を必ず1つ作り、その病院が災害時にも機能できるようシステムとして考えられているということです。
また、スッチュ先生は、日本の黒沢建設のプレキャスト部材の監修も手掛けているということで、現在、日本基準でトルコでも生産しており、日本に逆輸入さているそうです。今後、トルコで開発された巨大ネジ(外部からの耐震用)などを、日本などにも輸出していきたいと話していました。

<2023年5月7日>トルコ地震の被災地へ

今年2月に発生したトルコ南部の大地震では、トルコで5万人以上が死亡し、5万6000棟以上の建物が倒壊するなどの甚大な被害が生じ、今後の復旧・復興が課題となっています。4月13日から19日まで、関係大学や行政機関への訪問と被災地への視察を行い、トルコ南東部地震研究・支援に対する今後の連携・協力構築、学術調査のための情報収集と予備調査を実施してきました。5人からなる専門家チームとして、特に被害の大きかったトルコ南部のハタイ県を視察しました。東日本大震災の経験を共有し、今後の復興計画に役立ててもらうのがねらいで、被害の大きかった地域で壊れた建物を見て回り、粗悪な建築資材が使われていないかなど施工の状況を確認し、写真に収めてきました。
また、530人が70ほどのテントに身を寄せ合う避難所を視察しました。避難所では子どもや弱者のケアなどきちんと運営されていました。東日本大震災では夏場に高齢者が体調不良を訴えるケースも多かったことから、暑さ対策として温度計の設置を提案するなど長期化する避難生活での体調管理の重要性などをアドバイスしてきました。あわせて、将来のトルコでの防災にも参考になるよう、記録を残していくことが大切であることもお話ししました。
今回の訪問で、建築、防災の専門家として活躍している日本人、森脇義則さん(安藤ハザマ、在トルコ30年以上)にお会いしました。今回の地震前から防災の啓発を行い、地震後には、最もメディアに登場した専門家の一人です。今回の地震を受け、イスタンブール市民の防災意識は高まっています。「Life of Triangle」(崩れてきた天井とベッドの隙間に三角形の空間ができる、ここで圧死を避けられる。)ここに水、チョコレートを置きましょうと指導されていました。

<2023年4月30日>ネパール地震から8年

2015年4月25日、ネパールのゴルカ郡を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生し、甚大な被害が生じました。この時の前月には第3回国連防災世界会議が開催され、そこで採択された「仙台防災枠組 2015-2030」の優先行動を念頭に、「より良い復興(Build Back Better)」をコンセプトとしたネパールの復旧・復興支援プログラムが実施されました。特に、JICAでは、『ネパール地震復旧・復興プロジェクト』が開始され、「安全なまちづくりのための計画づくり」、「災害に強い住宅や公共施設の再建」、「被災地域での生計回復の支援」等、包括的な取組みを実施してきました。また、生計回復を促進するため、2017年には、バルパック村で女性組合の設立を支援しました。組合のメンバーが復興に向け、力強く歩む姿を映像で紹介しています。
https://www.facebook.com/jicapr/videos/
また、JICA東北と宮城県国際化協会(MIA)が共催する『国際協力セミナー』が、昨年2月26日、コロナ禍を経て2年ぶりに開催されました。テーマは「ネパールと宮城の絆」です。2022年は日・ネパール留学生交流120周年。本セミナーも外務省『2022年日本・南西アジア交流年周年事業』の認定を受けて実施されました。
https://www.jica.go.jp/tohoku/topics/2022/dnb8qn0000004rke.html
我が国は東日本大震災をはじめとする災害の経験をもとに、ネパールの復興を支援していますし、宮城県では近年、県内に暮らすネパール人が急増、2021年時点で約1,600人、2013年と比べると約8倍にもなっています。

<2023年4月23日>仙台海岸の植生変化パターンと津波外力の関係

3月に卒業した本学4年生清水陽花さんの研究テーマです。内田典子助教と菅原大助准教授に研究アドバイス・指導を行っていただきました。
東日本大震災の津波は浸水域の植生に甚大な影響をもたらし、震災後、植生変化が大きくありました。その把握は多様な主体によって迅速に実施されてきましたが、長期的な調査範囲は限定的であり、植生遷移と浸水の関連性への言及はありましたが、浸水深、流速、堆積などの津波外力との定量的な関係は示されていませんでした。そこで本研究では、広域のデータを用い、東日本大震災における津波外力が、植生に関連した土地被覆に対してどのように影響したか定量的に把握することを目的としました。対象地域は宮城県の七北田川・名取川間の震災津波時浸水域のうち、震災前時点の人為的利用地(市街地や耕作地)を除く地域としています。①震災前と 2012年度の植生図で短期的な植生変化を、②震災前と2014年度の植生図で復興工事が本格化する前の期間で、長期的な植生変化を観察しました。また、植生図から解析を行うために、震災前と震災後各2年の植生に関する土地被覆区分を、「植生なし」、「自然植生以外の植生あり」、「自然植生あり」の3つのグループに分けることも工夫をしました。
その結果、浸水深の大きい地点でも、再生は可能であり、長期的な観点では震災前に存在しなかった自然植生の出現も可能であることがわかりました。一方で、最大流速が大きいと植物の再生は難しい傾向でした。これは、流速が大きいほど植物の根が残存不可能となるためだと推測されます。また、津波による侵食が植物の長時間の浸水や種子の流出をもたらしたことも推定されました。

<2023年4月16日>津波伝承 女川復幸男(ふっこうおとこ)について

https://onagawa-fes.info/fukko-man
東日本大震災に伴う津波避難の大切さを伝承するため、「津波伝承 女川復幸男」が3月25日(土)に4年ぶりに開催され、約100人が坂道を駆け上がりました。高台避難の大切さを伝えようと女川の春の祭りの目玉イベントとして開催されています。兵庫県西宮市の西宮神社で参拝一番乗りを競う「福男選び」を参考に2013年に始め、今年で8回目となりました。いつ何時も「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難の基本を、何かの形で後世へ伝え続けたい…、一過性のイベントではなく年中行事として続けていき、100年続けて貞観、慶長の大津波伝承と同じく、女川町の民族伝承となるように育てていきたいとの思いから企画されたものです。
東日本大震災で女川町に津波が到達したとされる午後3時32分、「逃げろ」の掛け声を合図に参加者がスタートを切り、高低差が約25メートルある上り坂約250メートルを駆け上がりました。トップでゴールした方は「一番女川復幸男」として認定し認定書を交付します。今年の「一番女川復幸男」に輝いた福島市の陸上自衛官小島涼太郎さん(22歳)は、前回2019年に続き2回目の参加だそうです。
翌26日(日)には、女川町復幸祭の流れを引き継ぐ「おながわ春のまつり」を開催。ステージイベントや出店などさまざまな企画が実施されました。海の恵みと春の潮風香る女川の町が盛り上がりました。

<2023年4月9日>復興推進委員会について

復興推進委員会は、2011年3月に発生した東日本大震災からの復旧・復興状況を調査・検証し、内閣総理大臣に復興政策を提言する有識者会であり、復興庁設置法(平成23年法律第125号)第15条に基づき、2012年2月10日の復興庁発足とともに設置されました。設置期限は当初2021年(令和3)3月末でしたが、2031年3月まで延長されています。委員長と14人以内の委員で構成されています。3月6日にこの委員会の委員長として任命を頂きました。
前身は、東日本大震災の復興政策の考え方などを提言した復興構想会議で、初代委員長には復興構想会議議長を務めた政治学者の五百旗頭真先生が任命されました。その後に、経済学者である伊藤元重先生が任命され、今年の3月5日まで務められました。委員には岩手、宮城、福島の被災3県知事が加わっており、被災3県と政府との意見調整機能も兼ねています。プロフィギュアスケーター荒川静香さんもメンバーです。復興推進委員会は2012年3月19日に初会合を開き、被災地の瓦礫(がれき)処理について全国的協力が必要と提言されています。同年9月に復興の課題をまとめた中間報告、2013年2月に復興の遅れなどを指摘した審議報告、2014年4月には東北を地方が抱える問題解決のモデルとする「『新しい東北』の創造に向けて」と題する提言をまとめています。
政府は2021~2025年度を第2期復興・創生期間と位置づけており、復興推進委員会は心のケアなどの被災者支援、原子力災害の事故収束、風評の払拭、帰還・移住の促進、産業再生、まちの復興などに関する提言を求められています。今年4月に発足した福島国際研究教育機構(F-REI)についても意見を求められることになります。

<2023年4月2日>トルコ地震から2か月が経ちます

トルコ地震は、今年2月6日にトルコ南東部を震央として発生した地震であり、南隣のシリアも含めて大きな被害が生じ、「トルコ・シリア大地震」とも呼称されています。現在、判明した被害は倒壊建物がトルコ国内で21万4577棟、シリアは1万棟以上、2000万人以上が被災して(トルコで1300万人以上、シリアで880万人以上)数百万人が避難生活を送っており、被害額はトルコ国内だけで13兆円を超えると推定されています(UNDP推計)両国の死者数は計52,000人以上(3月6日)になり、21世紀に入って6番目に死者の多い自然災害となってしまいました。
日本からは、国際緊急援助隊(救助チーム)や消防庁からの国際消防救助隊、そして専門家チームがトルコへ派遣されています。また、寄附や募金の活動も活発で、トルコのチャブシオール外相は、各国のトルコ大使館などの銀行口座に寄せられた大地震支援の募金が総額4000万ドル(約54億円)に達したと明らかにし、「最も多いのは日本だ」と述べております(2月26日)本震の後も余震が頻発して、被災した家屋では危険なため野宿を余儀なくされ、夜間は気温が氷点下になり、低体温症などが懸念されていました。仮設住宅も急ピッチで建設されていますが、時間がかかるようです。
また、文化財への被害も甚大で、ローマ帝国時代のガズィアンテプ城、17世紀に建てられたシルバニ・モスク、世界遺産となっているディヤルバクル城塞とヘヴセル庭園の文化的景観とギョベクリ・テペが被害を被っており、9月にサウジアラビアで開催される第45回世界遺産委員会ではこの2件を危機遺産に指定するかどうか協議される予定があります。

<2023年3月26日>昨年発生した福島県沖地震について

2022年の福島県沖地震(M7.4は、3月16日23時36分に発生し、宮城県と福島県で震度6強の揺れを観測、被害もこの2県に集中しました。本震の2分前(23時34分27秒)には前震(M6.1)も発生しています。4人が死亡(うち災害関連死が1人)、247人が負傷し、5万棟以上の住家被害が報告され、大規模停電や断水などのライフライン被害も多大になりました。前年2月の福島県沖地震からわずか1年余りという時期に再び各地を襲った烈震により、被害は広範囲かつ深刻なもので。前年の地震で被害を受けて復旧したばかりの施設が再度被災した事例も多かったと報告されています。
道路や鉄道など基幹インフラが被災、常磐自動車道や東北自動車道の福島、宮城両県内区間などで路面の段差やひび割れが発生しました。特に、走行中の新幹線で脱線事故が発生し、全線開通には6月27日までかかることになりました。運輸安全委員会から、東北新幹線脱線の経過報告書が今年2月16日に公表されましたが、詳細な原因はまだ不明のままで、引き続き調査を行う予定です。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023021600409&g=soc
「やまびこ223号」の17両編成のうち16両で脱線が確認され、1両に4つある車軸68軸のうち60軸が外れていました。また、新幹線の高架橋の横梁にせん断破壊があり、新たな地震リスクとして、耐震補強の見直しが必要と言えます。

<2023年3月19日>新刊本『ぼくんちの震災日記』のご紹介

2月20日に新日本出版社から出版された、新刊児童書『ぼくんちの震災日記』佐々木ひとみ (文)、本郷けい子 (絵)をご紹介します。この本については、本番組を聴いていただいている方からご紹介をいただきました。 この本は、河北新報夕刊に2020年1月から5月に連載された『がんづきジャンケン』を改題・加筆されたものです。仙台に住むある家族(ご両親と2人の子ども)の東日本大震災発生からの4日間の出来事です。お話は、大地震のあった翌日の朝から始まります。主人公の友樹くんは夢を見ていたのですが、ゆっくりと目を開けて、天井を見つめた。美味しいものを食べようとした夢でした。しかし、現実は…。夢だったらいいのに――。災害は前触れもなく、突然起こります。電気もガスも水道もとまっていましたが、家族4人けが人もいないので、家で過ごすことができていました。それでも、現実には水がでない、暖房がない、食べるものもない日々です。震災後4日間、家族4人のがんばった日記になります。震災の翌日に【がんばろう週間】=>これから生きること をお父さんが宣言しました。この意図は?
本の中には、お父さんメモがあり、会社関係の出来事、対応が具体的に紹介されています。さらに、最後のページには、お母さんの「あってよかった」メモがあります。また、あと書きには、防災用品などを備えることに加えて、「こころ」の備えも大切であると紹介いただいております。今後も予想される大地震が発生したときに、同様な「在宅避難」をされる方は少なからずおられるはずです。その時の参考になります。

<2023年3月12日>第3回世界防災フォーラム、最終日

本日、第3回世界防災フォーラムも最終日となりました。1日目には、東北大学、日本科学技術振興機構、情報通信研究機構、土木学会、富士通などのセッションが行われ、夕方には、仙台市一番町商店街サンモールで歓迎会・懇親会も開催されました。2日目には、郡市長による仙台防災枠組の中間評価の結果報告があり、東北大学災害科学国際研究所、仙台市、人と防災未来センター、同志社大学、(株)デロイト、(株)パシフィックコンサルタンツそして東京海上日動などのセッションがありました。「インクルージョン×防災 全ての人が自分らしく生きられる世界の実現を目指して」をメインテーマに、防災の輪をいかに拡げていけるかが話し合われました。そして本日が最終日です。JICA,宮城県、仙台市、富士通、東北大卓越大学院などのセッションとクロージングが行われる予定です。
第1回世界防災フォーラム(2017)では、仙台市や東北大学が中心となり、多様な関係者(国連、国際機関、政府、民間企業、メディア、NGO・市民団体、大学・研究所)が一同に介し、災害を減らす具体的な解決策を持ち寄り、情報を共有・議論しました。また新たな連携などを生み出すフィールドづくりを推進しました。第2回(2019)では、仙台防災枠組2015-2030におけるグローバルターゲット(2020年までに国家・地方の防災戦略を有する国家数を大幅に増やす)の達成のための議論がなされました。よりよい復興とは何か、心の復興とは何か、また、近年深刻化する気候変動による災害にどのように対処していけばよいか、さらに、AIやIoT技術などの先進技術の防災への応用などを議論した成果を世界に発信しました。

<2023年3月5日>東日本大震災から12年

今週末に3月11日を迎え、東日本大震災から12年が経過することになります。本日は改めて震災を知っていただくため、NHKのウェブサイトのコンテンツを紹介させていただきます。「東日本大震災3.11 伝え続ける」特設サイトの<震災をみつめる>です。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai-portal/
①東日本大震災タイムライン
このサイトは東日本大震災と福島第一原発事故で起きたことを、2011年3月11日の発災から72時間を中心に、データと証言をもとにタイムライン形式で伝えるもの。散逸したデータや証言を集め、あのとき何が起きたかをわかりやすく伝えていくことで、次の大災害による被害を防ぐことにつながります。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai-portal/timeline/
②100台のカメラで被災地を定点観測
震災からの復興を“定点"で見つめる。東日本大震災直後から、岩手・宮城・福島の3県100か所で、復興への歩みを映像で定期的に撮影。「定点映像」には、防潮堤や住宅などハードの再生だけでなく、津波や原発事故被害から暮らしを取り戻そうとする人々の営みも記録されています。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/fixed-point/
③データで見る復興予算32兆円
この間に投じられた国の復興予算は約32兆円にのぼり、被災地を支えるため増税も行われました。予算はどのように使われ、復興はどこまで進んだのでしょうか。4割は増税で12.4兆円、所得税…税額の2.1%上乗せ(2037年まで)住民税…1000円上乗せ(2023年度まで)当初、国が想定していた復興期間は10年。しかし期間はさらに延長に。今後は福島県の復興に重点が置かれます。予算1.6兆円のうち1.1兆円が投じられ、福島県への移住の促進やロボット、エネルギーなど新たな産業創出を目指します。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai-portal/yosan/

<2023年2月26日>トルコ南東部地震について

2月6日、トルコ南東部のシリアとの国境付近を震源とするマグニチュード7. 8の地震とその余震により、トルコ南東部及びシリア北西部において1、700以上のビルが倒壊し、トルコとシリアではこれまでに5万人以上が亡くなり、現在も増加しております。この大地震で犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を表したいと思います。
トルコではアナトリアプレート、ユーラシアプレート、アラビアプレート、アフリカプレートという4枚のプレート(岩板)がひしめき合い、M7級の地震が繰り返し発生してきました。トルコ南東部にはこうしたプレート境界に沿い、「東アナトリア断層」という大規模な横ずれ断層が南西-北東方向に延びています。災害科学国際研究所では、2月10日に緊急報告会を行いました。
https://irides.tohoku.ac.jp/research/prompt_investigation/2023turkey-syria-eq.html
今後のこのHPを通じて、情報を発信させていただきます。
遠田晋次教授らは、今回の地震について、短時間に複数の活断層が大きくずれたことにより、被害が拡大したと分析しています。今回の地震による余震の範囲は、東北地方の広さに匹敵するということです。また、トルコやシリアでは耐震性のある建築の技術が低く住宅の倒壊が相次いでいることなどが被害拡大の理由として挙げられています。こうしたことから「今後も周囲の断層が動き、同じ規模の『後発地震』が続く可能性がある」と指摘しました。今後、「余震による二次災害への注意が最重要」「クラッシュ症候群への対応も必要だが現地の医療機関がどの程度機能しているか」「防ぎえた災害死を増やさないようにする努力を」「低体温症による対応が必要」「ハザード(危害要因)からの回避が必要」「防ぎえた災害死を増やさないようにする努力を」などの提言を行いました。

<2023年2月19日>仙台防災未来フォーラム

世界防災フォーラムは、東日本大震災を経験した東北の地で、災害で悲しむ人々をこれ以上増やしたくないという願いを込めて始まりました。2015年、仙台にて開催された第3回国連防災世界会議で、防災に関わる取り組みの指針である仙台防災枠組が策定されました。これまで、防災に関する国際会議は、国連が主体のもの、学術的な会議など世界各地で多様なイベントが実施されていますが、災害による被害を減らす具体的な解決策に着目、情報共有し、議論を行うことができる国際的な「場」はありませんでした。そこで、災害リスク削減の解決策を、国内外、産官学民さまざまな立場から提案し、互いに学びあい、新たな価値を創造し、仙台防災枠組みを推進していく「場」をこの仙台の地に立ち上げることにしました。それが、世界防災フォーラムです。
第3回世界防災フォーラム(3月10日(金)~12日(月)仙台国際センター)のテーマは、「BOSAIを通してSDGsを考えよう!」です。さらに、次の2点にフォーカスします。1点目は、民間セクターおよび若年層に積極的に参画してもらうこと。2点目は、いくつかテーマを決めて、特に統合的・学際的なアプローチに関する企画度の高いセッションを行い、参加者の増加と交流を促すことです。 世界防災フォーラムとしての防災の具体的な解決策を産官学民の対話の中から、女性や若者の視点を大切にし、世界に向けて情報発信してまいります。
また、世界防災フォーラムには、さりげなく、「おのくん」が登場します。おのくんは、靴下に詰め物をして編んだかわいいぬいぐるみですが、起源は1930年代にアメリカから発生した世界恐慌にまで遡ることができるそうです。多くの人が困窮して子供におもちゃを買うことができなかった中で、一人のお母さんが使い古された靴下にボロきれを詰めて縫い合わせて作ったのが、「ソックモンキー」の始まりと言われています。このアイデアが、東日本大震災で被災し避難所にいた東松島の陸前小野の主婦たちの心をとらえ、和製ソックモンキーのおのくんが誕生したのだそうです。
https://worldbosaiforum.com/2023/

<2023年2月12日>仙台防災未来フォーラム

「仙台防災未来フォーラム」は、東日本大震災の経験や教訓を未来の防災につなぐため、発表やブース展示、体験型プログラムなどを通じて市民のみなさまが防災を学び、日頃の活動を発信できるイベントです。日頃から防災に携わる方はもちろん、これから取り組む方、お子さまやご家族連れ、学生、企業、市民団体等、幅広い層の方々の参加・発信の機会になることを目指しています。
3月4日に開催される「仙台防災未来フォーラム2023」のテーマは、「ここから広げる 防災が身近な世界と未来」.東日本大震災からの復旧・復興だけでなく、気候変動をはじめとした環境問題や水害など様々なテーマから広い意味での「防災」について知る・考えるプログラムを実施します。
https://sendai-resilience.jp/mirai-forum2023/
さらに、今回は、「復興・防災10DAYS」として、3月4日から3月13日まで、当時の経験や教訓を学び、未来に向けた防災について一緒に考える特別な10日間があります。震災復興や防災への想いを持つみなさんが、さまざまな場所を舞台に、日頃の活動や防災への取り組みを発信します。ぜひこの機会に各地へ足を運び、防災・減災につながるヒントを見つけてみてください。参加団体等一覧は、下記をご覧ください。
復興・防災10DAYS|仙台防災未来フォーラム2023 (sendai-resilience.jp)

<2023年2月5日>文化遺産のファーストエイドに関するシンポジウムのご紹介

「緊急時の文化遺産のファーストエイド」日本語版発表記念のシンポジウム
『文化遺産とレジリエンス』~災害後の文化遺産保全活動の世界的動向から学ぶ~が2月12日(日)13:00~17:00、東北大学災害科学国際研究所1階多目的ホールを会場にハイブリッド開催(会場・オンライン)致します。
文化財保存修復研究国際センター(ICCROM;1956 年のユネスコ総会決議で設立/ローマ)は、国際的に積み上げられてきた人道支援の原則に則りながら、歴史文化遺産の保全・修復支援を効果的にかつ誰にとっても安全に実施するための体系的な手引書として『First Aid to Cultural Heritage in Times of Crisis』を2018年に発行しましたが、このたび、J・F・モリス氏(東北大学災害科学国際研究所特任教授、宮城資料ネット理事)と上山眞知子氏(同特任教授)の翻訳により、その日本語版が公開されました。
http://miyagi-shiryounet.org/netnews441/
「緊急時の文化遺産のファーストエイド」では、災害時の文化遺産の救出と保全を、防災や復興全体のプロセスに位置づけることの重要性を強調し、そのための豊富な具体例が示されています。また、モノの救済のみならず、被災地や被災者の支援としての可能性を発揮できるような提起がなされています。主筆者であるアパーナ・タンドンさんをお迎えし、緊急時の文化遺産の保全の意義について、レジリエンスの観点から考えるシンポジウムを企画したものです。是非、ご参加ください。
https://irides.tohoku.ac.jp/event/event_jn/detail---id-6245.html
参加申し込み:https://forms.gle/VdvbAgBU62d6aWZ76

<2023年1月29日>日本品質保証機構特設サイト「シリーズ防災を考える」

日本品質保証機構(JQA)をご存じでしょうか?「見えない価値を見える証(あかし)に」をミッションに活動されている一般財団法人です。公正な第三者機関として、マネジメントシステム・製品・環境等に関する認証・試験・検査等を実施しています。約1,000名の方が従事されています。<主なサービス>としては、ISO 9001やISO 14001等のマネジメントシステムの認証、電気製品・医療機器の認証・試験、計測器の校正・計量器の検定、マテリアル試験、JISマーク認証、地球環境に関する審査・評価・支援、ロボット安全評価・認証など多岐に渡った活動を実施されています。一般的には難しい分野でありますので、積極的にセミナーや教育支援も行っています。
災害研が「防災ISO」などの活動を行っていることもあり、JQAの特設サイト『事業基盤の強化を考える情報サイト』の中で、2022年11月から連載『シリーズ防災を考える』を担当することになりました。「良き行動のルール」をデザインするサポートを目的としています。月に一度のペースで解説文・コラムを掲載、すでに、3つの連載がアップされています。第1回は「防災と災害に関する基礎編」です。そもそも災害とは?誘因、素因、外力、災害、リスク、などの解説を行いました。どなたでも閲覧が可能です。 https://www.jqa.jp/service_list/management/topics/topics_ms_402.html https://bc.jqa.jp

<2023年1月22日>仙台短編文学賞作品集が刊行されました

災害が芸術文化へも影響を与えていることが指摘されており、相互の連携と新しい取組(協働)にも期待しております。
「仙台短編文学賞」は東日本大震災の被災地から新たな作家の発掘と育成を図ることを目的として2017年に創設されました。荒蝦夷、河北新報社、プレスアートが主催し、災害科学国際研究所も関わっています。このほど、過去5年分の大賞および各賞受賞作を一冊にまとめた「仙台短編文学賞作品集2017→2022」が出版されました。選考委員は東北にゆかりのある作家の皆さん(第1回佐伯一麦さん、第2回熊谷達也さん、第3回柳美里さん、第4回いとうせいこうさん、第5回玄侑宗久さん)。仙台文学館第3代館長の佐伯一麦は、「新しい文学を東北から発信していく」「震災の時のこどもたちが成長して文学的な言葉を持ったときに、初めて被災地から文学が立ち上がってくるのではないか」と語っています。
第3回大賞受賞者の佐藤厚志さんは、仙台市生まれ。東北学院大学文学部英文学科卒業後、書店の店員を務められています。受賞作品の「境界の円居(まどい)」は、気仙沼市で新聞配達をする高校生の視点で、震災後の町の移り変わりや家族の心模様を映し出す珠玉の一編です。作品のモチーフになっている「境界」について、被災した土地と残った土地の境界線に行き当たって。それは古い新しいだけの境界ではなく、生と死など、様々な意味を含んでいる境界なのだと述べています。「象の皮膚」で第34回三島由紀夫賞最終候補、新作「荒地の家族」で第168回芥川賞候補になりました。宮城県亘理町が舞台であり、東日本大震災の津波で仕事や道具を全て失い、後に妻を病気で亡くした造園業の男性を主人公に、喪失を抱えながら生きる人々の心情を被災地のリアルな情景とともに描き出されています。
*佐藤厚志さんの「荒地の家族」が、第168回芥川賞を受賞されました!

<2023年1月15日>トンガ噴火津波から1年

南太平洋・トンガ沖の海底火山が昨年1月15日に大噴火し、その影響により日本の太平洋岸の潮位が最大1m以上も上昇し、全国8県で一時23万人近くが避難対象になりました。この潮位変化は、まれに見る「揺れを伴わない津波」になります。沿岸での養殖関係等の水産被害が出てしまい、その影響は長く続きました。
現在までに、数値解析、観測データの収集に加えて、現地調査も実施され、メカニズムも大分判明してきました。「揺れを伴わない津波」を「気象津波」とし、火山噴火などで空気が振動して発生する大気の波(大気境界波)の一つの「ラム波」に着目されました。特に、津波伝播速度からの予測よりも早く津波の第1波が到達したのは、ラム波が同火山の大噴火に伴って同心円状に発生したからと考えらます。ラム波とは、気圧擾乱などが海洋の波と同じ速度で進むことによって海洋に効率的にエネルギーを渡して(プラウドマン共鳴)、津波と同程度の周期を持つ波を引き起こす現象になります。さらに、科学研究費(東大地震研・佐竹所長代表)による調査研究も進められており、火山と津波のメカニズム、周辺および日本での影響・被害の把握、津波警報の現状などの課題をまとめる予定です。
https://scienceportal.jst.go.jp/gateway/clip/20220524_g01/
トンガの被災地域の復旧・復興については、JICAと日本政府が貢献しています。昨年8月には、BBBビジョンセミナー(トンガ王国政府・JICA共催セミナー「Build Back Better(より良い復興)ビジョンセミナー」)が開催され、復旧・復旧に向けたビジョンを初めて国内外に発表しました。災害リスクのより正確な現況把握のために、火山性および地震性津波解析に加えて、高潮解析のケース数を増やして実施されています。

<2023年1月8日>せんだい災害VRについて

地震や津波などの災害を仮想現実(VR)で疑似体験できる「せんだい災害VR」が作成されました。これは、昨年3月に引退した地震体験車「ぐらら」に代わるもので、体験プログラムは仙台市が凸版印刷などと制作しました。ゴーグルを含めた事業費は約3600万円です。運用を始めた昨年7月当初は、新型コロナウイルスの流行や認知不足で伸び悩みましたが、各地で防災訓練が行われる秋頃から利用者が増加、地域の町内会や事業所から申し込みが相次いでいるそうです。
この「せんだい災害VR」は、専用ゴーグルで、地震、内水氾濫、津波、洪水・土砂の4種の災害を360度の立体映像と音響で疑似体験でき、時間は各4分ほどです。「地震災害編」では、日頃からの備えとして家具の転倒防止や備蓄食料等について知り、避難行動の重要性が認識できます。「内水氾濫編」では、内水ハザードマップの見方や浸水時の注意点等を知り、日頃からの浸水への備えを知る事ができます。「津波災害編」では、仙台市の「津波からの避難の手引き」をもとに日頃からの備えや避難時の心構えを学ぶことができます。「洪水・土砂災害編」では、ハザードマップの見方やマイ・タイムラインの作成方法を知り、日頃から準備すべきことや台風や大雨時の避難の注意点を学ぶ事ができます。仙台市内の町内会や学校、事業所のおおむね10人以上の行事などで無料で利用できます。
仙台市減災推進課の担当者は「VR体験を通じて災害への理解を深め、適切な備えや避難行動につなげてほしい」と呼びかけています。予約の受付は、防災安全協会022-347-3153まで。
https://www.city.sendai.jp/gensaisuishin/sendaisaigaivr.html

<2023年1月1日>令和5年のおもな予定

3月4日 仙台防災未来フォーラム
https://sendai-resilience.jp/mirai-forum2023/
「仙台防災未来フォーラム」は、東日本大震災の経験や教訓を未来の防災につなぐため、発表やブース展示、体験型プログラムなどを通じて市民のみなさまが防災を学び、日頃の活動を発信できるイベントです。今年度のテーマは、「ここから広げる 防災が身近な世界と未来」。気候変動をはじめとする環境問題や水害など様々なテーマから、広い意味での「防災」について知る・考える機会になります。
3月10日~12日には、第3回世界BOSAIフォーラムが開催されます。
テーマは、「仙台防災の取組からSDGsに如何に貢献できるか?」
5月26日 1983年日本海中部地震津波から40年
死者104人、負傷者163人、住宅の全壊934棟など。被害は秋田県で最も多く、青森・北海道が続き、石川・京都・島根など遠方の府県にも津波による被害が発生しました。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shinsai/#disaster
7月12日 1993年北海道南西沖地震・津波から30年
死者202人、行方不明者28人、負傷者323人。特に地震後まもなく津波に襲われた奥尻島の被害は甚大で、島南端の青苗地区は火災もあって壊滅状態。夜10時過ぎの闇のなかで多くの人命、家屋等が失われました。津波の高さは青苗の市街地で10メートルを越えました。
9月1日 1923年関東大震災から100年
「関東大震災から100年 ~教訓を継承し、迫り来る大災害にいかす」という「21世紀減災社会シンポジウム」が令和5年1月20日(金) 13:30~17:00に開催されます。これまでの様々な災害による教訓をふり返ると共に、迫り来る首都直下地震や南海トラフ地震などの巨大災害に備え、持続可能な減災社会を構築するための方策等について議論します。